2005年05月30日

朝倉文夫記念公園

先日、近くを通りかかったので、
朝倉文夫記念公園に行って見た。
しかし、あいにく休館日であった。

朝倉文夫という方は、著名な彫刻家であるらしい。
40年ほど前に亡くなっている。
そもそも、この公園は朝倉文夫氏の構想であったらしい。アート公園という構想だ。
ところが、計画半ばで朝倉氏は病に倒れ、計画は頓挫した。
近年、朝倉氏の意思を引き継ぎ、朝倉文夫記念公園として建設された、
と公園入り口の石に刻まれていた。

休館日であったが、せっかく来たので、悪いとは思いつつ
公園部分と建物の周囲を回って見ることにした。
当然、誰も居ない。
公園には、朝倉文夫氏の作品ではないが、幾つかの彫刻が配置されていた。
足を踏み入れた瞬間、空気が違うのを感じた。
なんだろう、この感覚は。
目の前の蜂の作品は今にも、飛び掛って来そうで、
金属でできた丸い鋭利な彫刻は、いきなり回転し始め、僕の切り刻みそうな感覚。

しかし、それだけではない。
その場全体の空気が張りつめている。何か見えないプレッシャーを感じる。
すぐに立ち去ろうと思った。でも、体は前に進みたがっている。
蛙の鳴き声が変にシュールに聞こえる。

さらに進むと、記念館があった。
前面はガラス張りで、中が見える。
人影が見えた。一瞬、想像をしてしまう。何か妙な事が行われているのではないか、と。
僕にそんな想像をさせる空気がそこにはあった。
人影は彫刻であった。朝倉文夫氏の作品であると思われる。
すばらしいというよりも、どこか不気味であった。
設備の機械音がさらに僕の感覚を刺激した。

帰ってから、なぜそんなことを感じたのか考えてみた。
自慢ではないが、彫刻や絵画などその手のものに、感動した記憶はない。
僕にはそんな感性がないものだと思っていた。
しかし、今回は感動ではないにしろ、何か力を感じた。
それは何故だろう。

第一に、記念館自体の敷地位置の影響。
敷地は山奥で、車もほとんど通らない。街中にあったら場の空気は弱まっていたと思う。
第二に、休館日であったこと。
休館日であったために係員はもちろん、来園者のおじいさん、おばあさんも居なかった。
そのことが、場の空気を緊張させたと考えられる。観光バスの団体でも居ようものなら
彫刻達は、なりをひそめていただろう。
第三に、休館日という表示されたプレートをまたいで中に進入したこと。
僕の中に、悪いことをしているという気持ちがあった。つまり、僕自身の緊張。
最後に、これが一番有力なのが、
単に僕が彫刻なれしていなかったこと。

人生の中で、感動するとか、何か感じとるという事は、たぶん、そう何度もない。
建築を見にいっても、きれいだなとか、おしゃれだなとか、ここ大変だっただろうなとか
思うけど、感動することは、少ない。ほとんど無い、といっていいと思う。
今回、感じたことを大切にしたいと思う。
posted by kid at 22:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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