2005年05月12日

僕たちは何を設計するのか?〜映画と建築〜

映画と建築についてはよく語られる所である。

「僕たちは何を設計するのか?」という本の中で、
塚本由晴氏は、

実施設計の時に、どんなところに力点を置いておられんですか?

という質問に対し、

モノが語りだすようなディテールかな。(中略)ジャン=ジャック・ベネックス監督の「ベティ・ブルー」っていう映画での最初のシーン、ビーチハウスみたいなところで主人公が女の子とセックスしてんるんだけど、部屋の窓とその前に置いてあるコップを通して朝日が入ってくるところが撮ってあって、その窓ガラスに付着した砂とかコップの汚さが、もう圧倒的にその人たちの生活レベルとか、ライフスタイルとか、建物がある環境とかを語っている。それはいいとか悪いとかではなく、すべての用途の建物に、独特のディテールがあるんだってことだと思う。

と答えている。

また、「新建築2004年12月号」の五十嵐太郎氏の巻頭論文「景観を笑う」に対し、翌年の月評で、吉村靖孝氏は
この論文を読みながら何度も、マイケル・ムーア監督の「華氏 911 」を思いだしたという。
これは、論文の中で、「景観法」の制定に対し、景観法の名の下に公共工事を安定させる目的があるのではないか、という指摘に対して書かれたもので、
戦争も営利目的に利用されることもあるならば、この指摘も真実味を帯びてくるとし、
僕たちは建築をやっているのだから、建築で答えていくしかない、と締めくくっている。

2人の意見は、僕にとっても共感できる所であるし、いわんとしている事は同じであるような気がする。建築は社会状況を写す鏡でもあるし、
建築が社会を変えるとまでは、言わないけれど、1石を投じる事はできるのではないか
そう思いたい。
posted by kid at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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